明治維新志士の意外な素顔

歴史偉人伝

西郷隆盛の意外な素顔

明治維新を果たした維新志士は素晴らしい人格と、リーダーシップのある非の打ち所のない人間としてとらえられがちですが、ここでは志士達の意外な素顔について書いていきたいと思います。

今回取り上げるのは西郷隆盛です。

言わずと知れた西郷隆盛ですが、幕末において薩長同盟を締結し、倒幕の中心人物として活躍し、維新政府でも様々な功績を残した人物で、現在でも維新志士の中で1・2を争う人気人物でしょう。

西郷隆盛とは?

西郷隆盛は性格面・他人に対する包容力・物事の判断をすることのできるリーダーシップなどに優れていて、誰からにも愛され・お金にもクリーンで、聖人君主のような人物というイメージがあるかもしれません。

それは一面の事実ではあります。しかしながら、 西郷隆盛もやんちゃな若い時代がありました。

藩の金を使い込んで女遊びをしていた西郷隆盛

明治維新による政権交代が現実的でなかった時代の西郷隆盛のお話だと

島津斉彬に見出され、江戸では工作活動・状況分析・諜報員のようなことをしていました。今で言うならば、保守・左翼系の会合・講演会・活動等で顔役としていつも見かけるような人です。

しかしながら、当時の西郷隆盛も若かった時代は、島津斉彬から援助を受けた薩摩藩の資金を使い込んで、遊郭に住み込んでいたといった、意外な側面があったのです。

お気に入りのふくよかな女性を「豚姫」と呼んで可愛がっていたという話があります。

島津斉彬を失った後の西郷隆盛

西郷隆盛には2度にわたって流罪の経験があります。

島津斉彬という強力な後ろ盾が無くなってしまった結果です。

一度目は奄美大島

二度目は沖永良部島に流されました。

主君として仕え尊敬していた、島津斉彬が亡くなって絶望をし、殉死しようとしたがなんとか踏みとどまり、江戸から薩摩に帰国しましたが、月照という

江戸末期の僧侶 とともに心中を測っています。

1ヶ月間生死の境をさまよいましたが、なんとか命は助かりました。ここで西郷隆盛が亡くなっていたら、 明治維新は現在とは全く違った形となっていたかもしれません。

僧侶との心中

ただ武士にとって「 死に損なう」というのは最悪です。しかも心中でです。武士にとってこんなに恥ずべきことはありません。

まとめ

2回の流罪を経験して、大久保利通・小松帯刀の力を借りて、 政治に返り咲き、倒幕・ 明治維新となりましたが、 西郷隆盛のイメージが少し変わったのではないでしょうか。

聖人君主という人間はいないのかもしれません。

西郷隆盛も過去のやらかしや・過ち、それらを経験し、それを糧にし、あそこまでの偉業を成し遂げたとも言えるかもしれません。

さて皆様はどう感じたでしょうか。 Twitter やコメント欄に感想など書いてくれたら嬉しいです。

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