社民党に対する私(銃弾)の意見~歴史編~

政治

2022年参議院議員選挙における各政党の私(銃弾)の意見です。

今回は社会民主党(社民党)です。

この動画では、社民党の歴史を中心にお話ししたいと思います。

目次

崖っぷちにある社民党

社民党は現在政党として崖っぷちの状況です。2022年の参議院議員選挙で、総得票数で全体の2%以上の支持・または議員が4人以上当選しなければ、政党要件を満たせず、国政政党でなくなり、政党助成金も打ち切られ、諸派に転落します。

諸派に転落へ

結論をいうと、私は社民党が諸派へ転落することを望んでいます。戦後の憲政史の残滓(残りかす)はとっとと表舞台から消えて欲しいというのが私の意見です。

社民党の前進は日本社会党左派です。

自由民主党と日本社会党による談合政治(55年体制)

55年体制とは過半数を維持し、政権与党にしがみついていたい自民党と、1/3の議席を維持し、憲法改正を阻む事によって、社会党の存在価値を得るという談合政治体制を指します。

55年体制は戦後の憲政史最大の汚点であり、当然自民党もその責任を逃れられません。

本来であるならば、自民党もその責任を負うべきですが、現実問題として自民党が諸派に落ちる可能性はないので、その片棒を担いでいた社民党が消えることによって、ある意味の区切りとなるでしょう。

55年体制による 政治の劣化・政治家の職業化

55年体制では

社会党は、選挙において、政権与党をとれるだけの過半数の候補者を擁立していませんでした。

民心・民意を得られるよう、競いながら政治・政策を練り上げ・国民に訴えてゆき、両党が切磋琢磨することを放棄した結果

政治の劣化

政治家の職業化などが、この談合政治によって固定化していったというのが、戦後の憲政です。

コミンテルンと社会党左派・敗戦革命

また日本社会党、左派ははっきり言うと、ソ連のスパイ・コミンテルン・中国共産党のスパイなどがウジャウジャ存在しました。

日本共産党よりも危険な存在でした。

例を挙げるならば、風見章が挙げられるでしょう。

風見章とはどんな人間だったかというと、敗戦革命という、大国どうしを戦争させることによって、国家を疲弊させ、混乱を煽り、それに乗じて紅軍を投入し、共産主義革命を起こさせる

日本を暴力革命によって、国家転覆を謀り、共産主義国家にするといった、非常に危険な思想の持ち主であり、実際に権力を握っていた人間です。

風見章の存在

戦前の近衛文麿内閣で、風見章は内閣書記官長であり、現在でいうところの内閣官房長官という立場でした。

表向きは保守のフリをし、内閣書記官長の立場を利用し、権力を行使し、内閣に働きかけをし、またメディアによる、国民世論を反米・英へと煽った人間です。

皆さんの知ってのとおり試みは成功し、対英米戦となり大東亜戦争で敗北しました。

アメリカ・イギリスなどの、西側諸国が第二次世界大戦途中から、共産主義の拡大を危惧した結果、日本に対してのポツダム宣言受諾を急がせ、御聖断による昭和天皇の英断の結果、日本では共産主義革命は起きませんでしたが、スターリンに攻め込まれた多くの国が共産主義国家となってしまった事実を鑑みると、ギリギリの状況であったことは理解できるでしょう。

戦後は自ら化けの皮を剥がし、社会党左派として中国への「侵略」に対する「反省声明」をいち早く発表していた、本物の売国奴です。

社会党とサンフランシスコ講和条約

社会党左派はサンフランシスコ講和条約にも反対をしました。

社会党左派はサンフランシスコ講和条約にも反対をしました。

講和で日本が主権を回復するのは望ましいことです。主権のない植民地から独立国家に戻るからです。

しかしながら、 敗戦革命の望みが断たれたにも関わらず、中国での国共内戦・朝鮮戦争の勃発・、極東への共産主義の接近・革命が仮に起こった時の、スターリンの粛清が恐ろしい、というくだらない理由でマスコミ・学者・活動家を巻き込んで過激なデモなどを扇動した連中が社会党左派です。

そういった陰謀をやった挙げ句、55年体制での談合政治です。救いようがありせん。

そもそも必要がなかった社会党左派・社民党の存在

国家・國體を破壊し、リアリズムに基づいた国防・安全保障を70年遅らせた政党が社会党であり、その後継団体が社民党です。

次の動画では社民党の政策などの考察をしていきたいと思います。

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